クーマンのブログ

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生死について

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生死について私がどのように考えるかというと、先に結論からいうと全く考えないです。はい、頑張って説明していきます。  

ではまず、私の考える死とは何かを説明していきます。私の考える死とは他者への影響力が無くなることです。他人の人生に影響を与えなくなったらそれは死に等しいと考えています。私にとっての死とは身体の有無だけでなく存在証明や存在価値など重要な要素になっていると考えます。一度想像してみて下さい、もし自分の全く知らない会ったこともない人がいたとしてその人が生きようが死のうが自分にはなんの影響もないはずです。つまり、自分の全く知らない人間(自分に影響を与えない人間)は自分にとってはなんの価値もありません。たとえ死んでいる人であっても伝記や生前に書いた本が自分に影響を与えたのならばその人は物理的には死んでいるが、精神的には生きていて、価値があると考えます。本当の死とは肉体が滅び、その後誰にも影響を与えず、忘れ去られることだと考えます。  

まだまだ文字数が足りないので、次は生きるとはどういう事かをもっと掘り下げていこうと思います。おおまかに言えば死ぬということの逆のことをしていれば良いのですが、私はもう一つ重要な要素があると考えます。それは存在証明です。さっきも少し言葉は出てきましたが、詳しく説明していきます。  

 

あなたはどうしたら今自分はここで生きていることを証明できますか?あなたの代わりは沢山いるかもしれないし、偶然その位置にいるだけかもしれないのです。ただそこで物理的に生きているだけだとしたら、私の考えではあなたは死んでいます。存在証明ができていません。もしあなたが将棋の歩のように代わりのきく存在ならばあなたは抽象的な歩という存在のひとつに過ぎずあなた個人の価値などはつかないのです。なので今後私達は存在証明をしていかなくてはいけません。  

 

具体的に何をすれば良いかというと、行動し続けることだと私は思います。スマホが普及して情報が民主化した時代なので、誰でも世界最高峰の情報に触れられる時代になりました。今では、山奥に住んでる民族ですら、私達と同じように情報に触れたり、情報を発信することができます。そんな時代にアイデア自体にはもう価値はなくなりつつあり、行動に移すことこそに価値があるのです。行動すれば少なからず人に影響を与えたますし、熱い情熱をもって行動してる人には自然と賛同者が現れます。  

 

なんの話か忘れてしまいました、あ、生死についてですねすいません。先程では死というのは人に影響を与えなくなること、それは物理的精神的共に同じです。次に生きるというのは存在証明をすること、はい、至極簡単な話です。  よくある話で、少し有名なビジネスパーソンが本を書いたあとからより成功するという話があって、それは本を書く過程で思考が整理されるからてだと言われています。なんとなく思っていることを言語化して、人に伝わるようにする、それには多少のエンターテインメント性も必要になり、自分の考えを上手くまとめられるので、本を書いた後から行動の指針がはっきりして次の成功にまた近づけるのです。私もなんとなく生死について考えてる事を書いていたのですが、書いているうちに具体性が増してきたと感じていて言語化することはできる自分の軸を決めるという点でとても重要だと感じました。  

 

前田裕二さんのメモの魔力という本をご存知でしょうか、彼はメモを利用して、いろんな出来事をまず抽象化つまり本質を見抜きそのあとに転用、その本質を生かして何か新しい事を考えたりと思考を発展させています。私はそれに感化されてメモ帳を購入してしまった前田信者の者なのですが、日々ある具体的な事象を抽象化して言語化することは人生の新たな視点を見つけるという点でも素晴らしいことだと考えます。  

 

コロナに関してはあまり興味がありません。早くワクチンができるといいなとか思っています。  

 

このようなのが私の考える、生きること死ぬことの考えです。

 

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